この前、ママ友とはなしをしていて、自分自身が思ったことをお話したいと思います。
その話になるまで、本当に色々話をしていて、
息子さんと担任の先生があまり合わないみたいで、とても、悩んでいるようで話を聞いていました。
話の内容は、割愛させて頂きます。
そして、ママ友が言った言葉は
なんか、周りの子がロボットみたいに見える。
音楽祭でも、子供なら体を揺らして歌っててもいいものなのに、そういう子が数少なく、
体を揺らして歌ってる子が、すごく浮いて見える。
と、言うものでした。
体を揺らさず歌ってる子をロボットのようだと言うのです。
後、日常生活でも、学校が厳しすぎて、周りの子がロボットみたいと言ってました。
私は、強烈な違和感を感じました。
まず、ロボットと言われている子達には罪はないです。
むしろ、すごく頑張っていると思います。
後、息子自身がそのロボット達の中にいる事に、どう感じているのか…
そこが大切な事だなぁと思います。
私は、学校生活は団体生活で、ましてや、決められたスケジュールの中で、カリキュラムをこなしていかないといけないと思います。
時間に制約があるのは当たり前だし、
ある程度は、生徒達にロボット化してもらわないとなかなか前に進めないものだと思っています。
でも、授業が進む中で、生徒それぞれが、関心をもったりして、自分自身の思考が変わって行き、
それを数年繰り返しながら、本当の好きが見つかるんじゃないかとも、思っているんです。
多くの情報を与えられ、多くの事を考えさせてくれるのが、学校だと思うんです。
引きこもって、好きなゲームばかりして、好きなYouTubeばかり見てても、同じ事ばかり考えて、頭のなかをグルグル回っているだけなんですよね。
たまには、頭の中で、おもいっきり転けてみてもいいし、想定範囲外からおもいっきり、飛び出してみるのもいいんです。
そう言う意味で、行けるものなら学校は絶対に行った方がいい。
その為には、生徒のロボット化はある程度は仕方ないのかなって、私は思っているんです。
別に、心底ロボットになる訳じゃないんです。
必要な時だけ、ロボット化するだけなんで、それは、要領よくするって事なんで…
ずっとではない、むしろ、自然体の時の方がはるかに多いと思います。
自分の意図しない情報を入れられるのも学校であれば、意図しない情報によって、自分の好きが変わって行く場所も、学校です。
一旦、流されてみるのもいいし、
結局、流されなかったら、それがあなたの「好き」がより一層固まったと言うことだと思います。